仰臥漫録

坂東 芙三次による連続観劇レポート

正岡子規「仰臥漫録」

2019年7月22日(月) 15:00/ 19:30開演
会場:綜合藝術茶房 喫茶茶会記 

『仰臥漫録』は正岡子規が亡くなる前の年から死の直前にかけて書かれた病床の日録で、生前は発表されることがなかった。執筆当時、子規は病床から動くことができない状態で、布団に仰向けになったまま半紙に記したものなのだという。内容は、食事・排泄・体の具合・家族との関係・知人の訪問・見舞いの品などの記録、俳句や季語。ありのままの日常。しかし、本人はいずれこれが一般に公開されることを想定していただろう。

舞台には緑色や茶色をした額縁のようなものが、上からぶら下げられたり壁に立て掛けられたりして点在している。フレームの中はみんな空洞で、窓のように向こう側が見える。

坊主頭の男が現れた。筒袖の着物に丈の短い袴をつけている。




明治丗四年九月二日  雨 蒸暑〔むしあつし〕
庭前の景は棚に取付てぶら下りたるもの
夕顔二、三本瓢〔ふくべ〕二、三本糸瓜〔へちま〕四、五本夕顔とも
瓢ともつかぬ巾着形〔きんちゃくがた〕の者〔ママ〕四つ五つ
女郎花真盛〔まっさかり〕鶏頭尺より尺四、五寸のもの二十本許〔ばかり〕
(*1)

男の語りは軽やかでのびのびしている。

子規の部屋は庭に面していて、布団の中から、ぶら下がった糸瓜や折々に盛りを見せる草花を眺めていたという。大きな窓を通して。

夕顔の実をふくべとは昔かな
夕皃〔ゆうがお〕も糸瓜も同し棚子同士〔たなこどし〕
夕皃の棚に糸瓜も下りけり
鄙〔ひな〕の宿〔やど〕夕皃汁を食はされし

男の体は床に接している。が、座って倒れて転がってまた起き上がるというように、言葉を発しながら、重力と戯れるような動きを続けている。

朝 粥〔かゆ〕四椀、はぜの佃煮、梅干砂糖つけ
昼 粥四椀、鰹のさしみ一人前、南瓜一皿、佃煮
夕 奈良茶飯四椀、なまり節煮て少し生にても 茄子一皿

こうした食事の描写になると、男は一つ一つの品目をむしゃむしゃと食べてみせる。リアルに演じるのではなく、ままごとか手遊びのように、コミカルにデフォルメして。粥が四椀なら、省略せず忠実に四回食べ真似をする。

 この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかへす
  二時過〔すぎ〕牛乳一合ココア交〔まぜ〕て
    煎餅菓子パンなど十個ばかり
  昼飯後梨二つ
  夕飯後梨一つ
  服薬はクレオソート昼飯晩飯後各三粒(二号カフセル)
  水薬 健胃剤

これだけ食べ物の量と種類を摂っていたことの意味は、原作を読んでいる時にも考えさせられた。生きたいという願いの重み。実際に体を動かしながら読み上げる様子を見ていると、食べることそのものが祈りだった、それが生きることだった、という感じに胸を打たれる。

 十時半頃蚊帳を釣り寝〔しん〕につかんとす 呼吸苦しく心臓鼓動強く眠られず 煩悶を極む 心気やや静まる 頭脳苦しくなる 明方〔あけがた〕少し眠る






糸瓜には可も不可もなき残暑かな

男は壁に立て掛けられている額縁を手に取って、顔の横に置いたり、体に当てたり、向こうからこちらを覗いたりし始めた。フレームに切り取られる景色と、そこに入り切らない舞台全体。

ああそうか、と思う。赤裸々な覚え書きや最後の命を燃やすようにして遺された俳句を読んでいることに心を奪われていた。が、それは子規が作品に切り取って見せた生なのだ。フレームの外側、私たちが今日受け取る言葉の外には、もっとどうしようもなく子規の体があって、心痛があって、叫びがあったのだろう。

舞台の奥の壁には時々、子規の描いたスケッチが投影される。題材のほとんどは、動けない布団の上から窓を通して見た、糸瓜や草花。子規はよく、映画監督やカメラマンや画家がそうするように、両手の親指と人差し指で作った長方形の窓越しに景色を見ては構図を練っていたそうだ。そのフレーム越しに、子規は自分の人生を眺めていたんだろうか。

人問はばまだ生きて居る秋の風
牡丹にも死なず瓜にも糸瓜にも
病牀のうめきに和して秋の蟬
朝顔や九月の花に耻多き




子規の病は、結核菌が脊椎を冒した脊椎カリエスで、手術を数度受けるも容態はよくならず、やがて臀部や背中に穴が空いて膿が出るようになった。寝返りも打てないほどの苦痛。

『仰臥漫録』に綴られる病状は、淡々とした記述ながら死に向けて厳しさを増していく。

         この頃の容体及び毎日の例

 病気は表面にさしたる変動はないが次第に体が衰へて行くことは争われぬ。膿の出る口は次第にふえる、寐返りは次第にむつかしくなる、衰弱のため何もするのがいやでただぼんやりと寐て居るやうなことが多い。

語りがスピーカーから流れるなか、男はそこら中をのたうち回る。額縁と格闘してもつれ合っているうちに、フレームが枷となって男の動きを封じているように見える。

 食事は相変らず唯一の楽〔たのしみ〕であるがもう思ふやうには食はれぬ。食ふとすぐ腸胃が変な運動を起して少しは痛む。食ふた者〔ママ〕は少しも消化せずに肛門へ出る。

子規は布団から動けなかったが、動けるものならこんな風に思いっきり動きたかったのかもしれない。

 朝起きてすぐ新聞を見ることをやめた。目をいたはるのぢゃ。人の来ぬ時は新聞を見るのが唯一のひまつぶしぢゃ。

この時、三十四歳。




夏夜 明け易〔やすし〕 暑さ 涼しさ 炎天 五月晴
薫風 夏月 卯花〔うのはな〕下〔くだ〕し 五月雨 夕立 雲の峯 青嵐
清水 夏山 夏埜〔なつの〕 夏川

季語を次々と声に出しながら、男は力いっぱい踊るように空間を動き回る。

扇 団扇 蚊帳 蚊遣 昼寐 真菰刈〔まこもかり〕
田植 端午 幟 祭 祇園会 葵祭 行水 泳〔およぎ〕 納涼 鵜飼 夏籠〔げごもり〕夏書〔げがき〕 更衣〔ころもがえ〕 袷〔あわせ〕 掛香〔かけこう〕 夏羽織 灌仏 日傘 御祓〔みそぎ〕 鮓〔すし〕 新茶 葛水〔くずみず〕 氷室 氷水 粽〔ちまき〕 はつたい 煮酒

少年のようだった。

けし 美人草 蓮花〔はすのはな〕 花菖蒲 杜若 河骨〔こうほね〕 藻花〔ものはな〕 昼皃〔ひるがお〕 百合 牡丹 薔薇 茨
苔花〔こけのはな〕 夏草 艸茂〔くさしげる〕 蓮葉〔はちすば〕 若竹 竹落葉
茄子 胡瓜 瓜 麦 早苗 麻

冒頭からあくまで軽やかに語り、床に横になるかと思えば転がって遊んでいるような男の姿は、一つには、この世の生を終えて身軽になった子規の幻、を示す造形だったのかもしれない。

子規にも元気な時代があった。本当はアメリカに渡ってみたかった。生前横になっている時間、無限の可能性を持っていた時代の思い出が頭をよぎることはたくさんあっただろう。そうした無念、夢になってしまった夢を形にする人と、それを囲んで観る人々がいる。

時鳥〔ほととぎす〕 かつこー 蝙蝠〔かわほり〕 雨蛙 蟇〔がま〕 行ゝゝ子〔ぎょうぎょうし〕 翡翠〔かわせみ〕 松魚〔かつお〕 鮎 蝸牛〔ででむし〕 なめくじり 蛍 蚊 蟬 蠅 蚋〔ぶと〕 火取虫 蚤 孑孑〔ぼうふら〕 水馬〔あめんぼう〕 豉虫〔まいまい〕

お経をあげるのとは違うやり方で、一種の法事や追悼を行おうとする空間だったように感じた。








*1:正岡子規『仰臥漫録』(1927年7月、岩波書店)以下、テキストの引用は全てここから行う。

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